宜野湾ソニー坊や(48歳)をきれいに塗り直そうじゃないかの会

20世紀ハイツ

2013年03月16日 13:58

坊や~良い子だねんねしな~♪

日本昔ばなしで耳にしたのを最後に、「坊や」という言葉はすっかり死語となってしまいました。

*今見知らぬオジサンオバサンが「坊や~」なんて近づいてきたら連れ去られそうで怖い・・・

高度成長期の日本のお父さんお母さんたち、朝から晩まで働いて働いて、

疲れた心に当時の純粋な子供達の姿が唯一の癒しであり、原動力であった。

そして、素朴で愛くるしい姿におねだりされると弱い大人たちに当時の企業たちは目を付けたのである。

銀行や電機メーカー、お菓子メーカーから製薬会社、

数々の企業がオリジナルの「〇〇坊や」「〇〇ちゃん」等の可愛らしい子供キャラを創り出しました。

それはほんの数年間、幻のように無数に表れては消え去っていきます。

ナショナル坊や・東芝エスパー坊や・日立キド坊や・オリエンタル坊や・森永エンゼル坊や・

日清坊や・エーザイ製薬トラベル坊や・マキロン坊や・三井野球坊や・ヤン坊マー坊・・・・

*個人的には第一勧銀ののばらちゃんとかシチズンのシーちゃんが好き。。

もちろん、天下のSONYさんも素晴らしいキャラクターを産み出しました。

その名も

[ ソニー坊や ]

当時色々な被り物やデフォルメされた容姿のキャラが多い中、

ソニーはお金持ちをターゲットにしたからでしょうか?

髪を横分けにしたいかにも正統なおぼっちゃまキャラになっています。

元々は社名が東京通信工業時代、サラリーマン家庭の暮らしをユーモラスに描いた故岡部冬彦氏の漫画

「アッちゃん」をそのままあっちゃん坊やとしてキャラクターに起用、

1958年(昭和33年)SONYに社名変更時に一緒にソニー坊やと名前も変更したようです。

しかしそのわずか3年後の1961年(昭和36年)には、時代の流れや会社の方針によりこの世から消え去ってしまいます。



そんなソニー坊や、なんと普段通っている道端にご健在。。



日本中どこ探してもいない幻のソニー坊や。 ソフビ人形があれば数万円のソニー坊や。


そんなソニー坊や、沖縄だけにご健在。。





移住するまで全然知らなかった・・・

沖縄本島内に現在5人のソニー坊やが居るようです。

*本部坊や・うるま坊や・宜野湾坊や・西原坊や・糸満坊や

先日まずはいつも気にしていた宜野湾市野嵩にいらっしゃる宜野湾坊やさんにお参りに行ってまいりました。





国道330号線、那覇から普天間に向け、宜野湾消防署の先左手にひっそりといらっしゃいます。



ひっそりと・・・



琉球交通というタクシー会社の敷地内にあったので話を聞いてみると、

当時警察から交通安全のキャラクターとして置くので

場所を提供してほしいという事で置かれている。という事以外は分らず、

何年に建てたかなどの資料も何も残っていないとの事。

「復帰前にはあったはずよ~、俺が小学生ん時からあったなぁ~」

等うっすらとした記憶と存在感。

数年前にソニーの幹部が来沖した際に見に来て、きれいに塗りなおすと言って帰って行ったそうですが

それっきり音沙汰ないそうです・・・




コンクリートで作られ、ペンキもだいぶは剥げてしまっています。

オリジナルのキャラクターよりもかなりぽっちゃりしているような・・・



この地で半世紀、子供たちを見守ってきた貫録を感じますね。

 

土台部分は4面に交通安全の標語が書かれていたそうですが、すっかり剥げ落ちています。


むむむ。 この時点で塗りなおしてあげたい!というモヤモヤした気分に・・・


とりあえず情報を求めてその足で宜野湾警察署へ。


交通安全課のニコニコしたお兄さん、「以前も探したんですが、何にも資料が残ってないんですよね~」

私、 「こ、これはもはや文化遺産です!博物館級さ~ね~、日本中探したってこんなのないわけ!たぶんこれを目当てに観光客も来るはずよ~」「沖縄の誇りだってば~~」

と熱く語ったので親身にいろいろ聞いてくれましたが、既にOBもおらず誰も詳細分らず。

数百万年の人類の歴史の中、たった数十年前の出来事が誰にもわからないという事にもちょっと恐怖を覚えますが、

なんとな~く自分で塗り直したいという事を云ったところ、一言返事で快く承諾していただきました。

あなたのような人がいて助かります、ぜひお願いします。お金は市役所に行って相談してみたらどうですか?

なるほど。増々現実的になってきたぞ。

でも大々的になってもちょっとやだな。

ひっそりと数人で地味にいつの間にか塗り替えてあげたいという気持ちと

大勢で市をあげてワイワイ盛り上げて塗り替えてあげたいという気持ちが半分半分。。

ネットで調べてみるとうるまと本部のソニー坊やを8年前にやはりみんなで塗り替えている一般の人がいるんですね。

参考になります。

やっぱり話の分かる仲間を集めて適度にワイワイ塗り直そう。



その後、タクシー会社の方から連絡を頂き、むかし市報で取り上げられた時の記事が見つかったとの事で貰いに伺いました。

その中で宜野湾坊やの事で一つだけわかったことは

1965年(昭和40年)にタクシー会社が現在の地に引っ越ししてきた際、当時普天間にあった普天間警察署の交通課から

交通安全のアピールの為にソニー坊やの設置要請があったそうです。

宜野湾坊や御年48歳。


あれ?

1961年にはソニー坊やっていなくなっているんだけど・・・



著作権云々もなく、警察が企業に頼んで一つ返事で使用できた昭和という時代。

あったかいなぁ~


ということで、



<宜野湾ソニー坊や(48歳)をきれいに塗り直そうじゃないかの会>


発足いたします。

もしも参加したいという方がいらっしゃいましたらご連絡くださいませ。

ご協力いただけるペンキ屋さんも探しています。

info@20century-heights.com 098-963-9349 須藤まで

皆さん一緒にヌリヌリしませんか? そのあと呑みませんか?

勿論ボランティアです。ペンキ代も割り勘でかかります。


今考えている作業としては

現在の塗装の剥離、凸凹のお肌のケア。

ペイントは基本オリジナルに塗り直します。

土台の標語はもはやなんと書かれていたかわかりませんので、


<標語募集いたします>

info@20century-heights.com 098-963-9349 須藤まで

昭和っぽいノリのいいやつ。


 アセリは禁物、アサリは海産物(真栄原より引用)
 美女多し、脇見注意! 等々・・・



その後勢い着いた店主は、警察署を後にし西原と糸満のソニー坊やを偵察に。。

その様子は引き続きブログにて紹介いたしますね。





関連記事