新垣栄三郎さんに続き、沖縄らしいお話を一つ。
戦時中、地上戦が繰り広げられたここ沖縄では、他では見られない独自の生活道具が存在しています。
終戦直後、全ての生活物資が無くなり、身体一つになってしまった先輩たちは文明と言うものを振り出しに戻って始めなければなりませんでした。
生活する上で必ず必要になってくる食器なども勿論残っていません。
焼け野原の中に残るのは戦車の残骸や兵士の残したヘルメット、飯盒など・・
その後すぐにアメリカが入ってくると、本国から大量の物資が入り、
米兵が捨てたり余ったものを何とか利用して生活を成り立たせようとしました。
まったくのゼロになると人間はなんとたくましい。
無いものは作ってしまおうという自然の流れというか本能というか、
落ちているコーラの瓶を知恵を絞ってスパッと切り・・・
*この世代の方たちにこの話をすると、自分はどうやって切ったかというのを語りだすと止まりません。
熱く熱したワイヤーを使って引きちぎるといった感じが一般的のようです。
見事下部分はコップに。
上部分は金属などをぶら下げて風鈴に。
その他、ジュラルミン製のヘルメットなどを溶かし、金型をちょちょいのちょいと作り
アイロンや・・・
薬缶。
その他ご飯茶碗や箸などに早変わり!
地上戦の無かった本土では産れようのなかった本当のリサイクル品がたくさん生まれました。
こんなにも貴重なモノ達が数か所の資料館についで程度にしか展示していないのは残念ですね、
20世紀ハイツではもっと誇りを持って皆さんに紹介していきたいと思っております。
そんな中・・・
上の画像のようなモノが20世紀ハイツにやってきました。。
花じゃないですよ。
これ、やっぱり沖縄独自の生活の中で産れた<オキナワンアンティーク>。
日本の誇りを表現したのか、富士山が・・・
木を利用して作った取っ手も今ではなんだかシャビーでおしゃれに!
実はこれ、あるモノを再利用した当時は灰皿として生まれ変わったモノ。
花活けにピッタリなのでコデマリなどを飾ってみました。
あるモノとは・・・
そう。 旧日本軍の薬莢です。
しかも大きいやつ・・・
食事をする道具すらないのに、こんなモノがそこら中にゴロゴロしていたという現実。
一通り生活必需品を作り終えると余裕が出て来たのでしょう、
「まだまだあるからこれ切り取って灰皿にするかぁ」
といった感じでわりと沢山作られたそうです。
底をよく見てみると・・・
確かに。。
見えますかね? 昭和の<昭>と縦書きに<十六年>○○○ と刻印があることが分かります。
戦中弾薬などの不足の為、鉄道のレールや家庭の鉄製のモノなどあらゆるものが装備品に生れ変わり、
戦後はさらにそれらが生活物質に生まれ変わるという皮肉な現実と人間の逞しさを感じる品ですね。
そんなモノだからこそ、華やかなお花を飾ってあげたいですね~
弾薬という事を心に留めると草花の生命力を感じ取れますね。
これぞ沖縄独自のアンティーク。
勿論花活け以外にも新たな使い道は沢山ありそうですね!
ぶら下げる事も可能です。
現在お店に展示販売開始いたしました。
後日ウェブショップにもアップします。
お気軽にお問い合わせくださいませ。