FBのブックカバーチャレンジとやらがやってきたので、ついでに久々紙モノ見聞録。
今から約50年前、半世紀近く前の1971年12月20日発行
<NAHA PLAY MAP>
最初の写真は参考までに1971年当時の那覇の人々の様子。想像力がわいてきますね。
半年後の本土復帰や海洋博も決まり勢いづいている那覇の街、
観光客向けのパンフレットとでもいう感じでしょうか?
ドル時代の貴重な相場と食事処、デパート、喫茶店、バー、風俗店、ドライブインなど
全20ページに情報満載です。
また当時の飛行機や船、バスなどの時刻表や運賃も乗ってるし、
当時の国際通りをはじめ、各社郊街の地図があり本当に貴重な資料。
今の国道58号線(当時はまだ琉球政府1号線)を中心に様々な繁華街が詳しく載っています。
なんせ<おきなわプレイマップ社>という合資会社のようなところが白黒で一生懸命広告集めて作ったような
手作り感満載でおそらく現存数は数えるほど(もしかしてこの1冊だけかも!)。
「鼻血がブーだもんね!」など当時の流行した文体やフォントも大衆週刊誌のようでチープで素晴らしい。
因みに1971年は私の奥さんの生まれた年。ギリギリ琉球政府の母子手帳が自慢です。
長文になりますが、現在地や相場観も含めさらってみます。さっそくページをめくっていきましょう。
因みに表紙の裏の一面広告は南西航空。その次はコカ・コーラ。
その次は現在ステーキハウス88などが入っている平和通り入り口近くの
勉強堂ビルの7月オープンの紹介広告。
各フロアマップがありますが、どの階も怪しいですね~
まず1階はカネエ書房という本屋さんと精工堂という時計屋さん。
屋号が既に危ういけどカッコして鉄砲とあるところがすごい。。
2階は明治パーラー、これも企業の明治と関連してるかは不明。
3階は当時流行しだした同伴喫茶がさっそく鎮座。戦争を知らずに僕らは育った~世代の那覇の若者たちが集ったのでしょう。
4階はそろそろ下火になりかけてるはずでしたが歌声喫茶が入ります。やはり若者たちが肩を組んで革命などを密談したのか??
5階はサントリーのパブ。オリオンでないところは本土志向のオーナーだったのでしょうか?
そして屋上はやはりサントリーのビアガーデン。
地下に歌謡喫茶
当時ではまだまだ低層ビルばかりですから、それなりに高い窓から夜景を楽しみながらトリスバーのような大人の空間だったのでしょう。
向かいにはこの前年4階建てだった大越百貨店から改装して8階建てに変わったばかりの三越の屋上遊園地も見えたはずですね。
そして目次を挟んで次のページはその三越のフロアマップ。
昭和32年(1957) 大越百貨店としてオープン、1970年10月10日三越と提携することになり、改装して沖縄三越としてオープン。
14年後の1974年
1971年当時の三越屋上からのショット。左下の建築中のビルが勉強堂ビルと思われます。
私が移住して2年後に閉店してしまったので、2回しか中に入ったことなかったけど、
天井が低くて暗いイメージ。。正直三越と言われてびっくりするほど地方感満載で古さは否めなかったけど
当時は山形屋とりうぼうの3大デパートで大賑わいだったはず。
因みに余談ですが、本土の三越の紙袋のデザインが変更後も、沖縄の三越では最後まであの有名な慣れ浸しんだデザインのままでした。閉店するのが分かっていたからでしょう。。
スカイビュッフェの話はよく聞きますが、屋上にヤングシアターがあったのは知らなかった。。
そしていよいよプレイタウンの紹介へ
とその前に1971年当時の物価を知っておくために最後のほうのページにある那覇の物価というページを記載しておきます。
お米10kg=2.60ドル
醤油1升 8セント (昔は1升瓶でしたね~)
インスタントラーメン 日本製12セント、オキコ9セント
シャンプー エメロン55セント
チョコレート15~20セント
石鹸 10セント
月桂冠一升瓶 3ドル
ジョニーウォーカー黒 10ドル
各日本製ビール 50セント
オリオンビール 40セント
新聞購読料 1ドル75セント
テレビ視聴代 月80セント (そんなの取られてたんですね~)
電話料金 基本料金3.85ドル 度数料2セントナハ市内
クリーニング Yシャツ25セント
ガソリン 1リッター12.7セント
タクシー料金 20セントで1.4km、以後500m毎に5セント
豆腐絹ごし 7セント
ここで面白いのは本の値段。
日本円の価格を3で割ったものをドル価格としている。
日本国内で120円のモノは40セントになる。
輸入の為買い取り制で返品できないため約2割高となっていたようです。
1ドル=360円だったから 例えば360円の本だったら1ドル20セントになってしまったということですね。
しかし今の日本の相場に換算しようとしたけど、あまりにバラバラで換算できない。。
日用品はセント¢で5程度掛けるといい感じかな・・・
当時板チョコで70円程度、キャラメル50円、石鹸50円って感じ
1972年のタクシー運賃が2kmまで170円、500m毎に30円
さて先へ。。
まずは拠点となるホテル・旅館の紹介。
主な36か所が記載されています。
価格は大体3ドルから10ドルほど。
現在ほとんど同じ名前で営業しているところはないけど、
うちのお客様でもある第一ホテルさんの安里時代で4~9ドル
嫁のお母さんの模合場所だった最近廃業したレインボーホテルが8~17ドル
同じ場所にある老舗の沖縄ホテル3ドル50セント~20ドル
とこの辺が那覇の高級ホテルだった模様。
一番高かった東急系の琉球東急ホテル(現おもと会大浜第一病院)はさすがに規模も違ったのか
9~50ドルというセレブホテル。
次は各方面の電話番号。旅行中のトラブルなどに関しての便利帳としてマストな情報ですね。
出入管理庁や税関の番号、国際電話に関してなどがあるあたりもパスポートの要る最後の年として貴重です。
そして当時から一番の繁華街、国際通りのご案内へ。
名渡山紅型工房や琉舞道場、四ツ竹人形教室(3時間コース2回で舞人形が作れる/6ドル)
その他基本的な地図で交番やポスト、公衆電話、バス停などを表示し、
<国際通りでひと風呂>
中心地にある銭湯の紹介。
現在ライブハウスOUTPUTの路地に国際湯という温泉があったようです。
せっかく温泉沸いたのにどうしちゃったんでしょうね、今の地図で見ると三井のコインパーキングのあたりでしょうか。
そして沖映通りからラーメン暖暮を入った広いパーキングになっているところにも<まきし温泉>という
温泉?があったようです。温泉と書いて鉱泉みたいな感じかなぁ・・・知ってる方いらっしゃいますかね。
ジュンク堂向かいの消えた路地裏には(平和湯)、
沖映通りバンボッシュのあたりに(大和湯)、
現在年末にオキナワマルクト開催しているサイオンスクエア(現牧志駅)には(さいおん湯)、
という銭湯があったようです。
右のページは(なみさと)という市場本通りの入り口、那覇の一等地にあったビルの紹介。
ここはバブル時に安藤忠雄氏設計の、花ブロックを多用した白いモダンなフェスティバルビルに生まれ変わります。
地下1階(肉、鮮魚、食品)、地上2階建てだったようで、ファッションとおもちゃ、ベビー用品の他、催事場とも書いてあります。
小さなデパートのような感じですね、夜7:15には閉まってしまいます。
因みにこの後のフェスティバルビルは那覇のお洒落さんが集まるところだったらしく、
うちの奥さん曰く、DCのブティックが色々入っていたファッションビルで、沖縄中からお洒落していくところだったそう。
バブル期の国際通り全体がブティックや、ディスコ、バーの集まる若者の街だったんですね~。
今では路面店はお土産屋さんばかりで観光客しか居ませんが・・・
そして店主も好物の那覇の喫茶店情報です。
喫茶店全盛期。 国際通りだけで18店舗紹介されています。
残念ながら現存はゼロ。インシャラーですらまだ無いのです。。
牧志側から
*月光 3階に小さな屋上庭園あり 現牧志郵便局辺り
*ドレミ コーヒー40セント、ビール1ドル
*画廊喫茶まきし アベック用にチャージルームあり15¢。 現ドトール。
*ステレオコンサートラウンジ1812年 ステレオコンサートやビデオコンサートができるホールがある。クラシックレコードの販売も 現パームロイヤル那覇辺り。
*金太郎 睦橋に近く待ち合わせに便利! 沖映通り現カナン駐車場辺り。
*フェニックス カウンターの奥に絨毯敷いた可愛いルームで手足伸ばして。 沖映通り現高良楽器。
*白鳥 一番広かったらしい。 現首里天楼辺り。
*MAX インド線香のいい香り。 現パラダイス通り入り口とJAL(山形屋)の間。
*ムーラン 雰囲気がよかったらしい、コーヒー35¢と一番安い。 浮島通り入り口。
*あんつく 琉球料理も食べれる ラフテ65¢。 現一銀通り安木屋横の三井のリパーク。
*インデイア 酒はない。 現キャプテンズインとアンカーインの間を入ってすぐ左。
*ギター喫茶アンダルシア ギター演奏は18時から。ママさんは長野県人。 現ステーキレストラン碧。
那覇の松山にギターラウンジアンダルシアさんというお店がありますが、関係があるのかもしれませんね。
*モングラン スパゲティサラダ付き55¢ 現御菓子御殿。
*ブルーマウンテン 味とボリュームで勝負! 現みずほ銀行。
*ヴエガ(ヴェガ) レコードの数が多い。 現沖銀本店裏通り側。
*ダージリン スペースゆったり、のり茶漬け50¢ 現沖銀本店と久茂地川の間のパーキングになってる角地。
*ギター喫茶 いづみ Aサイン施設。20時からギター演奏。 場所不明。
*ミンク 朝9:30から営業 場所不明。
これをご覧の沖縄の70代くらいの方、覚えてらっしゃる方いるでしょうか?
写真とかあったら是非コピーさせていただきたいです!
喫茶店でありながらほとんどの店が深夜2時までの営業、フェニックスは朝までですね。
珈琲は大体40セント、ビールは1ドルって感じ。 今の換算で珈琲大体200~300円、ビール500~600円かな。
次は国際通りのレストラン。
こちらでは国際通りの6店舗が紹介されています。
やはり牧志側から
*オリオン会館レストラン。 生ビールが安いよ!40¢、鯉の活造り7ドル、L判ステーキ1ドル95、
メキシコ料理も! 元西武オリオン、現ロイヤルオリオンですね。
*東洋軒 定食2~2.50ドル、1階は寿司(1ドル)のカウンターあり、2階はお座敷、ラーメン30¢がうまくて人気だったらしい。 旧三越脇の路地。
*コンパドール 炎に包まれて運ばれてくるコンパドールステーキ2.85ドル、テーブルに置いてあるブレッドスティックは食べ放題、2階はティーパーラーになっていた。チョコレートパフェ60¢。 現沖映通りスターバックス隣。
*ロイヤルパームス 高級ステーキ2.95~3.75ドル 外人さん御用達。 現一銀通り入ってすぐ右手。
*香港飯店 テーブル料理2人前 4~7ドル。4ドルコースは焼肉、焼き鳥、春巻、スープ、ライス。 現キャプテンズイン。
*渚 和洋中のビアレストラン。毎週火曜日はステーキ1ドル!4階までで4回はバイキング食べ放題。 現琉球漆器辺り。
やはり当時からアメリカの影響でステーキがメインですね。 1971年の国際通りだけでどれだけの牛が。。
続いては国際通りの大衆酒場。。いい響き・・・
4ページにわたり地図付きで紹介されています。気になったところを抜粋。
*東京コンパ 沖縄で最初の西洋居酒屋。コの字型のカウンターの中に丸いカウンターがある??ビール大75¢など安くて若者に人気。 三越正面平和通り入り口。
*パブロ 壁、天井が総木張り樽の中で飲んでいるような内装だったらしい。 現サムズセーラーイン辺り。
*ヤング8 イカのヤング焼き60¢が人気、ピアノがあり誰でも弾けたようです。毎週金曜日先着15名(女性限定)に週刊誌サービス! 現三越と沖映通りの間の路地裏、バサー屋のあたり。
*エデンコンパ 小さなステージにピアノとマイク、楽器の持ち込みOK! グランドオリオン2階
*養老の滝 当時は焼き鳥専門店。1本10¢。日本酒4種類。 現桜坂セントラル辺り。
*さかぐら白雪 檜の長尺カウンター、沖縄では珍しい明るい照明(笑)つまみ30¢均一、冷酒白雪50¢。現みずほ裏の回KAI本店辺り。
*丸波 沖縄式居酒屋。店構えは良くないが(よく書けるな)オキナンチューがいつもいっぱい。ビール大60¢。泡盛15¢をセブンアップで割る(当時流行ったらしい) 現ファミマ牧志2丁目店と久茂地川の間。
これできっとごく一部の紹介だったのでしょう。現代だったら範囲が広く無数にあって紹介しきれないですね。
次は料亭です。
*光っちゃったごめんなさい。
辻界隈にはこの当時大小いくつもの料亭がありました。
ここに紹介されているのは平和会館、料亭沖縄、料亭那覇、料亭左馬、松の下。今でも残っているのは料亭那覇。
左馬の作りは豪華絢爛で栄華を極めましたが閉鎖。
この子は左馬にいた招き猫。
因みに他にも料亭ことぶきという大きな料亭があったのですが、解体前に古物商が沖縄中から集まってその場で競りをしました。
当時まだ東京だった私も参加。オリオンビールの栓抜きから踊りの太鼓、紅型や絵を買って送った記憶が。。
松之下さんは今老人ホームになっているようです。
舞踊代は10~20ドルだったようですね。
右ページは琉球料理専門店。
何処も大体3~6ドルのコース。
料亭にも書いてありましたが、エラブ(イラブチャー、ブダイ)は前日注文などと書かれています。
高級で足が早く毒があるので仕入れや仕込みが大変なんですかね。。
琉球料理の続き、<美栄(美榮)>さんは今でも同じ佇まいで高級感たっぷりに営業されてますね。
門構えは赤坂や神楽坂にあってもおかしくない貫禄。現女将さんはお知合いですが、まだ高級すぎて行けてません。。
右ページ、<国際通り周辺の気軽に入れる楽しいクラブ>
*紅薔薇 毎夜9:30から民謡ショー、飛び入りカチャーシーも! スカッチ70¢ 現タイムスビル地下
*アロハ エレクトーンの演奏9:00から 中年の紳士多い。 現農林中金前バス停横
*天望 専属バンドの歌謡ショー、大衆キャバレー。 現天久PL教団周辺。
*スカイライン 専属バンド演奏9:00から ホステスちゃんが自慢のノドを聴かせてくれる。 現安里三差路とサイオンスクエアの間。
<国際通りのダンスクラブ(ダンスホール)>
*月世界 当時沖縄で一番大きなダンスホール。おやじもアベックも、バスガイドが飛び入りで歌う!? 現JAL並び角萬漆器辺り。
*ヤングタウン 勤め帰りのBG(ビジネスガール)がいるから男同士でも!当時新築間もない出来立て、時代的に流行のディスコの出始め。現わしたショップ。
*花馬車 専属バンドのキャバレー。中2階があったらしい。 現ドン・キホーテ隣辺り。
*沖映 3階にあった当時沖縄で唯一のゴーゴーダンスクラブ。飲物券1ドルで入場、フィリピンやアメリカ人バンド。現JR九州ブラッサム那覇
*ACB 新装開店ゴーゴーバンドが9:00から演奏。現旧三越裏。
そして当時はおぼこい青年たちのためにダンス教室もあったようです。 何処も入場料75¢。
*エーワン 回数券10枚6ドル。土日は上手いの下手なのいっぱい。 現パラダイス通り緑ヶ丘公園横
*シスター 昼、夜、特別教授は11時~12時。靴脱ぐ。 コーラ販売機10¢。 現パラダイス通りボラーチョスさん向かい辺り。
*ニューメトロ 女教師4名、男教師8名。 現旧消防通り入り口。
時はGSゴーゴーからディスコへと移行する時期、那覇の若者もアメリカ~の影響でにぎわったでしょう。
<スカイルームめぐり>
まだまだ高いビルは少ない時代ですが、それでも高層階の夜景を楽しむラウンジなどがありました。大人のデート向けでしょうか?
*ブルースカイラウンジ 赤とグリーンのキャンドルの高級ムードを気軽に楽しめるホテル香和9階にあった。現コンフォートホテル県庁前。
*レストラン日本 現存する那覇の昭和ビルヂング建築の一つ、国場組の国場ビル10階すべてがこのスカイルームになっていた。エレベーター降りて左が日本風のお座敷コーナー、直進するとラウンジタイプに分かれていたようです。国場ビルは1970年2月に落成なので、当時出来立てホヤホヤですね。本社に写真が残っているのでしょう。見たい。。
*レストランアラスカ 昼は近くのOLもピザランチ50¢を食べに。暗い室内に小さめの音でミュージックテープが流れる。場所不明、情報求む。
*スカイルームアポロ 沖縄で最初のスカイルーム。壁がなく足元からガラス張りでスリリングだったよう。近くの基地の中が見えるとのことですが場所不明。天久あたりでしょうか?フライドチキンなど食事1.50ドル程度、珈琲30¢。
*かみもと 大衆的なメニューとお値段。寿司60~90¢ タイムス隣の神元ビル9階。
<おやじたちに、高級クラブ>
当時天久あたりに高級なお店があったのですね。
*琉球ホール 観光客向き大キャバレー、テーブルチャージ50¢つまみは60セントより。 現パークヒル天久周辺の丘の上。
*ニューオキナワ 喜納昌永グループのショー!9:30から チャージ50¢ 現天久ヒルトップ周辺。
*和風クラブ加賀 トリオバンドが入って飛び入り歓迎。チャージ50¢ 現58号ピッツバーグ路地挟んだ北側?
*ガーデンクラブ 安謝港を眼下に夜空を楽しみながら芝生の上で。ゴージャスな個室も。 現天久スポーツランド周辺か。
*ブルースカイ 観光客向きキャバレー、この本を持っていくとショーなどワンセット5ドルになったよう。 現東町Msガーデン立体駐車場。
*コンコルド ホステスちゃんが30人前後!スコッチボトル23ドル。 現東町Msガーデン立体駐車場。
*クラブエメラルドルーム ビール1.20ドル、日本ビール1.40ドル、スコッチ80¢一杯でもう一杯おまけサービス。 ホテル香和地下。現現コンフォートホテル県庁前?。
当時も日本風の食事処もいくつかあったもよう。やはり久茂地周辺のオフィス街ですね。
*ふるさと 東京直送高級味の店 一号線タイムス前通り
*梅ぞの きしめん50¢、天ぷらそば80¢など 国場ビル2階
*大黒生そば 2階建ての日本蕎麦屋。ざるそば40¢、なべ焼き85¢ 山形屋向かい
<鼻時がブーだもんね>
鰻、スッポン、レバ刺し、牛刺しなども食べれる割烹のお店がありました。
栄町の山羊の睾丸刺しなんかも。。
<桜坂マップ>
今でも小さなバーや飲み屋、ゲイバー、が密集する桜坂界隈、勿論この時期は再開発される前ですからもっと賑やかだったでしょう。グランドオリオンもまだある頃です。
ここでは小料理屋系が数件紹介されています。
その中でも現存してる店がありました!
竜宮通りの
山羊料理さかえ 刺身、汁各1ドル、ビール1ドル、泡盛40¢。
流石時代の止まったような竜宮通り。今度行ってみよう。。
次のページは<波の上マップ>
「外人たちが飲み歩く街だったが、最近は日本人がプレイしにくるようになった。外人とのトラブルがしばしばあるのでご注意を。」 とある。 今では飲んだ〆にステーキなんて言われているけど、この時から朝5時までやっているステーキハウスがいくつかあった。
ステーツサイズ、ニューヨーク、ジャッキー(もちろん現存)などが1.50ドル程度で食べられるとある。
その他も数件紹介。
*小鹿 遅くに外人やホステスちゃんたちが集まってくる。台湾フィリピンヌードショーが近々始まるとのこと。 *現ファミマ辻1丁目店路地向かい。
*古都 おでんの安い店10¢均。 てびち20¢、ジーマミ豆腐25¢、煮込み30¢、辻2丁目。
*夕顔 沖縄味噌で煮込んだオジヤ40¢。琉舞勉強中の威勢のいいお姉さんがいるらしい。 現辻遊郭開祖之墓辺り。
*波の上ボートハウス 「波之上」(ナンミン)は昔から那覇んちゅの納涼や海水浴の場。会場に突き出した水上店舗が立ち、外人や若者たちがたむろしたらしい。ジュークボックスや貸しボートがありデートスポットだったのでしょう。
ビール大75¢、ジュース15¢と安めですね。<ひかり><はやとり>という小屋?が沖に突き出していて気持ちいいと書かれています。その後1980年(昭和55)1月22日の火災で8棟が全焼。
画像は1963年。
若狭通り、波の上周辺のマークのホテル(連れ込みホテル)はトイレ、テレビ、ラジオ付きで1泊4~5ドル。
天井や壁に鏡があるところも。コワイところもあるので気を付けてという記載。。
<波の上のショークラブガイド>
*ゴールデンプリンス 本土タレントや外人ショー、専属バンド 現プリンスビル辻
その他男性の歌謡ショー、ヌードショー、ベッドショー、フィリピンバンド、ゴーゴーダンサーなどのお店が。
中にはハブを使ったヌードショーや民謡とヌードショーなどレアな感じも。。
沖縄県公文書館所蔵の中に同年の1971年 2月15日、辻 じゅり馬行列の様子がが残っていました。
次のページは<天久、高橋マップ>
地図右側は今では那覇新都心として一大都市が築かれていますが、当時まだフェンスの張られた米軍基地。
坂を上がっていく1号線の左側は高台で景色もよく、当時は上記のように景色を売りにした高級ホテルやキャバレー、レストランなどが少し入ったところに点在していました。
特記すべきは現存する食堂ルビー。ボリューミーでタクシー運転手御用達ですが、この頃は24時間営業だったんですね。
そして坂を上がった左手のサイロの様な建物。今は光貴ファンタジスタウエディングという会社ですが、当時は建物そのまま(真似たのかな?)アイススケート場でした。
うちの奥さんもふとした時に思い出したように、ここスケート場だったなぁと言っておりましたので、1970年代後半あたりまでは営業していたのではないでしょうか?
後のページより料金2時間80¢、30分50¢。
この建物が映像が1950年代のモノですが沖縄アーカイブ研究所に載っていましたのでリンクを貼らさせていただきます。
https://okinawa-archives-labo.com/?p=834
泉崎から天久まで、アメ車とカルテックスがかっこいい!
そして右ページ、那覇の三大デパート、山形屋のフロアマップです。
これも希少な資料ですね。
山形生まれの商人が鹿児島で開いた山形屋呉服店が前身。
沖縄支店として戦前に東町、神里原、そして1955年に国際通りへ移転。
1999年8月31日に閉店後解体され、現在はホテルJALシティに。
夜7時までと短い営業。木曜日が定休日。
地下はのれん街でいわゆるデパ地下。1階に婦人かばんやアクセ、上層へ行くと着物や催事場、おもちゃ売り場や上階にレストランと現在のスタンダードそのものですね。
屋上は山形屋ドリームランドなる屋上遊園地と回転展望台。
こちらの同年代の希少な映像も沖縄アーカイブ研究所に所蔵されています!
https://okinawa-archives-labo.com/?p=3122
山形屋の看板が右読みだったんですね~。
遊具のデザインや配色、ちらっと映るご婦人のファッションもたまらなくわたくしの好物です。。
回転展望台の画像見てみたい!
次のページは1号線マップとして主に若松国映館周辺やタイムス現久茂地交差点周辺の地図。
そしてその次は<若狭大通りマップ><与儀、寄宮マップ>
深夜までにぎわう若狭にあったレストランや食堂。
*渚レストラン 生中ジョッキ50¢、コーヒーデザート付きランチ1.20~1.80ドル。火曜日は80¢食べ放題。 現カクテルプラザ向い。
その他、はまふく、幸、宝来、はるの。
そして少し離れた与儀や寄宮のお店も。
与儀公園は市民会館の隣にあり昔からデモや集会などが行われてた当時市内最大の公園。
奥さんの若いころはゲイの方々のハッテン場にもなっていたようです。。
現那覇警察署は日本政府事務所と出入管理庁があったようです。その横の赤十字の場所には琉米文化会館。
今の看護大学は那覇病院。
そんな官庁街にはこんなお店が。
*喫茶店舞 コーヒー40¢ 現国吉ミシン辺り。
*食堂竹の子 現与儀公園、焼き芋の車が止まってる辺り。。
*寿司馬の角 上寿司1ドル、並80¢、朝5時まで。 現一平寿司のワンブロック寄宮側。
*食堂ありさ うまくて安くてサービス精神旺盛なお姉さんが3人もいる。ラーメンしょっぱい。。朝4時まで 現セントラル病院向かい。
今では夜は静かなイメージですが、昔は朝までのお店が色々あったんですね~
次は今でも大人気の飲み屋街、<栄町付近>と<開南二中前(那覇高校)>
神里原・桜坂・十貫瀬(牧志)と並んで戦後から発達した大歓楽街の一つ。市場の中は迷路のように飲み屋が立ち並び、周囲には怪しいお店がひしめく栄町。この頃から夜の街で12時ころから4時ころまでにぎわっていたようです。
そして今でも現役の山羊料理 美咲が掲載されています。 刺身、汁各1ドル。当時は2階に部屋もあったようです。
その他三原あたりにも食堂あじさいという24時間営業のお店があったんですね。
そして今でも庶民の台所の街、開南。 南部からのバスで那覇に来るときはここがメインの入り口で、
豊見城出身のうちの奥さんも子供の頃は公設市場、水上店舗、平和通り、濃連市場や学校など、個々開南で何度となく降り立った所。今では想像できないほどにぎやかだったということです。
1964年の開南。沖縄県公文書館所蔵
当時は泉崎から来ると今のサンライズ商店街と与儀へ向かうカーブのYの字になっており、中洲には交番と時計台が。
1971年の地図では松尾へ下りる道はありますが、まだ壺屋神里原方面へ下りる道はありません。
今でも迷路のような那覇の街ですが、さらにこの頃は大きな道がなく迷路だったことが想像つきます。
再開発の波で激変している場所の一つ。
<ナハ午前0時>
当時からラーメン屋、すし屋、スナックは夜中まで。。沖映通り24時間営業のスナック麦とはどんなところだったんでしょう・・・
今では夜はすっかり人気のない浮島通り(うちの那覇ギャラリーがある通り)にもメッカという夜中までの2階建てスナックが。
那覇のトルコ風呂もしっかり掲載。
相場として記載しておきましょう。
*大盛ヘルスセンター オイルマッサージ3.50ドル、サウナバス1.50ドル、回数券10枚で2割引き。 辻2丁目
*ニューパレストルコセンター 蒸し風呂とマッサージ3ドル、マッサージのみ2ドル。 料亭那覇裏
*美人トルコ 入浴とマッサージ 7ドル 高い! 泉崎橋通り
●この本を持っていた人がこのページに大きく丸を付けてチェックしています。
そしてひとしきり那覇の街であそんだら・・・
<ナハの朝>
夜明けのコーヒーでは24時間営業だった3店舗。
先ほどのスナック麦、波の上の水上店舗、そして奥武山にあった奥武山ドライブイン、
*この奥武山ドライブインは沖縄を代表する建築家、金城信吉によるデザインだった。
その他日本の建築100選に選ばれた那覇市公会堂(那覇市民会館)、海洋博の沖縄館、奥武山陸上競技場、大山ソニービル、浦添市庁舎、、那覇タワービル、沖縄グランドキャッスルホテル、沖縄みゆき観光ホテルなど。。
この現役時代の画像を一度も見たことがありません。どなたかお持ちの方ぜひお知らせください。
10年くらい前には通りすがりに奥さんに言われて見たことはありましたが、その後いつの間にか壊されていました。。
ここで面白いのは早朝の食事のところにタクシー運賃の目途が記載されています。
牧港まで80¢、勢理客まで50¢。
珈琲一杯40¢、大瓶ビール1ドルが何となく相場ですから、今から比べるとタクシーやすいですね~。
右ページは沖縄各地へのバスの始発時刻。 ちゃんとガイドブックとして時間順に親切ですね。
次はゴルフ場やボーリング場の記載。
ボーリング場だけ取り上げておきますね。
因みにすべてのボーリング場が24時間営業。さすが眠らない町。。
*国際ボーリングセンター(沖縄国際ボウル) 24レーン 那覇市東町10-1 2003年閉鎖
*那覇ボーリング 18レーン 那覇市天久907 1975年閉鎖
*那覇レーンズ 30レーン 浦添市勢理客556 1978年閉鎖
*松下レーンズ 40レーン 那覇市松山1-5-1 1975年閉鎖
*栄町ボーリング 22レーン 那覇市栄町388 栄町りうぼう
*大丸ボーリングセンター 22レーン 浦添市港川476 1978年閉鎖
大体午後6時まで30¢、午後や夜間は50¢、が相場でしょうか。
この翌年に牧志に琉映ボウリングセンターができますが、1990年には閉鎖。
同じ1972年小禄ボウリングも誕生。こちらはつい最近閉鎖になり話題になりました。
さらにブーム全盛期の1973年には沖縄グランドキャッスルホテル内ボウルが(その3年後には閉鎖)。
上間にはエコーグランドボウルができますが、1990年に閉鎖と、ことごとく今は無くなってしまっています。
流行りとは恐ろしいものです。。
続いてプールやスポーツ施設。
*奥武山オリンピックプール メインプールは50×25m、ダイビングプールも 入場料20¢。
*東急ホテル 25m×10m 1.50ドル
波の上貸しボート料金
ローボート 1ドル/1時間
モーターボート 5ドル/1時間
釣りボート 3ドル
貸し水着 25¢
そして観光マップらしくサイクリングマップも記載。(写真撮り忘れた)
その次のページでは文章で道の様子や細かい情報、コースなどを紹介。
色々見てひも解くと。。
現ひめゆり通り内間より北はホコリ道。未舗装だったんですね。
波の上神社のおみくじ自動販売機(なんと最先端!)は一札5¢とか。
自転車だとコザ、嘉手納まで2時間半となっているけどコザまで自転車は坂道だらけで辛そうですね。
銀バス(那覇バス、年配の人はいまだにこう言う)と首里バス(1974年に那覇バスと統合)が7¢で市内一周定期路線を走らせていたようです。
次は那覇を離れて行って各地のビーチの紹介をしています。
これは今とあまり変わらないので割愛。
因みに少し触れると、南部民の憩いの場、名城ビーチへはタクシーで2.40ドル。
ムーンビーチはガラスボート2ドル。24時間オープン!
海中公園(現ブセナ)展望塔料金50¢、遊覧船20分50¢
インブビーチ 土曜日はオールナイト! バンガロー一泊3ドル など
<海辺のドライブイン>
これはマストですね。
*マブニドライブイン 旧日本軍高射砲が名物。。定食1~2ドル
*奥武山ドライブイン 那覇軍港前にある円形状のデザイン(金城信吉デザイン)ハンバーガーが自慢35¢。24時間営業
*珊瑚礁 インブビーチ内、ソーメン流しも。。24時間
*チャイナシードライブイン 中華料理が名物。
*シーサイドドライブイン 2階は純日本風割烹 24時間営業
*山田温泉レストラン 大衆風呂、家族風呂、トルコ風呂って・・・24時間営業
言わずもがな現在も残るのはシーサイドドライブイン。ただ当時は2階建てだったのですね。しかも純和風割烹だったとは・・・
そして終盤は那覇から空の旅へ、
那覇から離島への時刻や価格が載っています。
この頃はもちろん南西航空ですね。 1971年当時、「ゆうな」「ばしょう」「あだん」の3機のYS-11だけでした。
久米島行き 8:40 / 14:30 6.30ドル 30分
宮古行き 8:00 / 11:00 / 11:50 / 16:20 11.98ドル 65分
石垣行き 8:20 / 15:20 / 13:50(火、金のみ) 17.52ドル 85分
与那国行き 10:35(月・水・土) 23.32ドル 140分
南大東行き 10:35(火・金) 21.60ドル 65分
因みに宮古-石垣 6.56ドル 30分 石垣-与那国 6.30ドル30分
7月より増便になるとも書いてあります。本土復帰に向けジェット機導入など目前に控え飛躍する直前です。
そして、次は船。
宮古、石垣へ、因みに泊港からです。
琉球海運の沖縄丸、宮古丸が3日おき、有村産業の八汐丸が4日おきに就航。
運賃
泊-宮古 特1等 8ドル / 1等6.60ドル / 特2等5.10ドル / 2等3.40ドル / 学割2.80ドル
泊-石垣 特1等12ドル / 1等10.70ドル / 特2等7.40ドル / 2等4.85ドル / 学割4.00ドル
台湾への手配は琉海観光、基隆まで2等16ドル
その他割愛するが、泊港から伊平屋、伊是名、伊江島にも出てたんですね~
そして宮城島、伊計島、浜比嘉島は0.3ドルで渡らなければいけませんでした。(歩いて渡れたって話ですが。)
そしてバスターミナルからの定期路線バス情報や、タクシー(チャーター1時間2.30ドル)、ハイヤー、
定期観光バスの詳細なども。
レンタカーもありました。
免許は西新町にあった運転免許試験場へ出向き手続きしなければならなかった。
また保険が本土のように完備されていないのでくれぐれも慎重にとある。
料金は。。
*コロナ、スプリンター、コルト、ファミリア 3時間4.50ドル / 12時間12ドル / 24時間14ドル
*クラウン 3時間5ドル / 12時間13.2ドル / 24時間16ドル
*シボレー (カマロかな?コルベットかな?)3時間5.50ドル / 12時間16.80ドル / 24時間18ドル など・・・
それからショッピングガイド。お土産ですね。。
相場としては、紅型帯8ドル~、木綿絣1反8ドル、八重山上布一反25ドル、琉球漆器盆2ドル、やちむん2ドル~、珊瑚ネックレス3ドル、琉球人形2.50ドル(よく買取で出ます)、時計オメガローレックスロンジンブローバウォルサム30-450ドル、煙草1.30ドル ナポレオン20ドル、ジョニ黒9ドル、ホワイトホース5ドル etc...
そしてショッピングのところで最後の三大デパート、リウボウのフロアガイド。
今となっては沖縄で唯一残るデパートです。
当店も美術サロンに年に一度お世話になっておりまして、なじみ深いところです。
この頃はまだ今の場所ではなく、斜め向かいの場所に4階建てでありました。
戦後の復興中、何もない泉崎の曲がった広いカーブに出来たモダンな建築は絵葉書にもなっておりよく目にするでしょう。
1955年のリウボウ。
一応地下もあったんですね、4回は丸々催事場。
知らなかったのですが、屋上遊園地もあったようです。
そしてこのプレイマップが出版された1971年、プチ改装をして6階建てに!
このリウボウが懐かしい方々もいらっしゃるのでは。。
その後1991年、現在の場所に移転し、9階建ての立派な建物になりました。
この後は国際通りのショッピングガイドとして各店舗が掲載されています。
お土産屋さんとして記載しているのですが、今とは違い時計屋、宝石屋、革製品、沖縄酒、紅型などのお店をかなりの数挙げており、当時はお土産で買って帰るものが違ったんだなと実感しますねえ。
売るほうも買うほうもきちんとしたものを揃えております。
今は海外や本土で作った沖縄って書いてあるお土産品を薄利多売しているような状況。。
<ナハ便利ガイド>
これも興味深い。
貸しカメラはフィルムと現像を頼めば賃料無し。
薬局は濃連市場近くは朝が早く、波の上や十貫瀬の近くは午前3時まで。
辻スーパーマーケットは24時間営業、山内質店の利率は1か月9分。
円からドルへの両替は平和通り入り口辺りから両替してくれ~って顔出していくとおばさん達が声かけてくれるらしい。
波の上のクラブで飲んでいるとポラロイド持った写真屋がくるようになってる。カラー写真1枚1.50ドル
ヒッチハイカーに。→ 「松尾にあるU.S.Oへ。 インスタントコーヒー飲み放題。2階は玉突き、ピンポン無料。3階は宿泊OK、毎週火曜日チェス大会、金曜は飲み物付きのダンスパーティー22時までオールタダ!」
「と言っても日本人は入場できない。。米国軍人のための施設だから。 でも日系人のふりして遊んできた人もいたみたい。」
ということで松尾に米軍のUSOがあったようですね、どこだったんでしょう?
そして編集後記。
ここでこれが創刊号ということに気づく。
この後毎号作るとやらですがその後どうなったのでしょう?
次号はカワイ子ちゃんの居るサロン・バーの欄を設けるとか。見、見たい!!
古本屋回ってもないだろうな~~。。
NAHA PLAY MAO No.1
1971年7月20日発行 編集人 玉城英夫
発行所 おきなわプレイマップ社
那覇市牧志町1-700 定価 50仙(50¢)
で国際通りの地図。
裏面は沖縄の年表
皆さんこれで終わると思うでしょう?
なぜかこの後に編集とちったのか、広告もらったお店と混ざって漏れたお店が載っています(重複してるのもいくつもある)。
もうせっかくなので、載せときます。
*キャバレーショーボート 桜坂で一番早く開店して18年、一流バンド、七色の噴水、大勢の美人ホステスに囲まれて楽しい一夜を。
*和食本陣 京都のコックさんがいる(でも蕎麦が売り) なみさと百貨店地下、サンガーデン内。
*キッチンノザキ 旨いカレーの店、本格インドカレー 現みずほ銀行裏
*コーヒースナックSOS 自慢の15日寝かせたミートソース?60¢ミュージックはロック、インテリアは手作り。現美栄橋駅裏
*大阪の味シーズン 大阪で修行した焼き肉店 ロース1ドル、レバー80¢ 前島
*二人の喫茶 ホットなムードは暑い二人にピッタリ。 波の上沖の島ホテル前
*基地内クラブ リージョンクラブ 免税の為飲物が安い。食事やビンゴするホールとスロットマシンやカクテルラウンジもある。
ここは近年までありました。奥さんの両親も何かあるとここへ来ていたそうです。
*ヤエスラウンジ フランス製の調度品に囲まれたシックなレストラン。 デラックスステーキ2.50ドル
さらに。編集後記で次号にと書いていたかわいこチャンのいるサロンバーがなぜか。。
*京華 沖縄美人コンテスト入賞のかわいこちゃんと飲んでみない?バンドは8:30から。
*ナポレオン シャンデリアでゴージャズムード、ミニミニかわいこチャンがハッスル。2階はアベック同伴コーナー
その他、週刊誌ばりの下品な文面を画像よりお楽しみください。。
あとゲイバーとホストクラブ?についても1店舗だけ触れているので貴重な資料として記載しておきましょう。
<友達さん、ホモだちやーい>
*アジャンタ 沖縄最初のゲイバー、創業5年とのことなので1966年オープン。
*カメレオン ホストクラブ。美少年探してる男性もOKらしい。インド音楽が流れ、正月にはマスターがインド舞踊をサービス(??)
そして最後の最後にこれかいなという記事。
方言でバー、サロンでの会話集。
書き出すのも恥ずかしくなってくるのでご自身でご参考ください。
炭坑節をなぜ方言で訳しているのかも全く不明。。
高校生の授業でやったらウケそうだな。。
で本当の奥付。
日本復帰後のキャバレー、バーの料金について。
「復帰即日から料理飲食等消費税が適用されるので、本土並みの料金体系となります。」
奉仕料200~500円、指名料500~800円が付き、復帰前より2.3割高くなったようです。
統一標準価格
ビール中300円 オールド300円 サントリー角250円 ホワイトホース500円 ジョニ黒900円
と日本ウイスキー類は復帰前より安くなり、舶来ウイスキーは2倍近く値上がりする。
という希少な出来事で〆られています。
奥付でのこの本の価格は円表記で180円となっています。
ドル時代の価格表記と円時代の価格表記、どちらも載せているという書籍はある意味レアなことですね。
変な編集で見にくいけど、沖縄の半世紀前の風俗文化が分かるので大事にしようと思います。。
プラザハウスさん、よくこれに広告出したな。。
以上、ながながありがとうございました。 疲れた。。