紙モノ見聞録 沖縄都ホテル 秩父宮妃殿下歓迎メニュー

20世紀ハイツ

2022年05月12日 14:31






久々の紙モノ見聞録。

昭和49年、1974年11月26日 現ノボテル沖縄、沖縄都ホテルにて
結核予防会沖縄県支部主催
秩父宮妃殿下ご歓迎晩餐会の御献立表

戦前に設立され秩父宮妃殿下が総裁となっていた結核予防会。
残念ながらその結核で亡くなった秩父宮雍仁親王。
今やBCGや治療で治るようになった世界中を恐怖に陥れた病気ですが、
咳などで感染するあたりもなんだかコロナとも重なりますね。
1974年時点ではかなり結核の死亡者なども減ってきた印象です。

さて、1974年と言えば沖縄は本土復帰間もなく、翌年の海洋博を控えリゾート観光ブームの予感で沸いていたころ、
この年の3月に完成したばかりの沖縄都ホテルはやはり皇族を迎えるにはぴったりの場所だったのでしょう。
残念ながら私は立ち入ることなく耐震の問題を抱え外資に売却されてしまったわけですが、
先輩方の話にはよく回転レストランや結婚式などで話題に出るホテルです。
ネット上ではこの年に秩父宮妃殿下が来沖したという記事は探せませんでしたが、
実際に参列した沖縄財界の方が所持していたものなので確かに行われたのでしょう。。

メニューの内容はというと、、

かたつむり シャブリワイン蒸し
清羹汁 シャンティリー
伊勢海老 レモン添え
牛繊肉焙焼 野菜添え
アスパラガス マヨネーズ
冷菓 パインアップル
コーヒー

上には当時理解できる人は一握りだったであろうフランス語で表記されてます。
一見して沖縄色はなく、デザートのパイナップルくらいでしょうか?
現代なら琉球料理が一品位出てるはずですが、この当時は皇族向けには考えもつかなかったかもしれません。
清羹汁というのは知らなかったのですが、コンソメスープの事を宮中ではこんなふうに呼ぶらしい。。
牛繊肉焙焼はいわゆる牛ヒレ肉?
いずれにしてもオープン初年に料理長以下さぞかし緊張したことでしょうね。
現在は紀子様が総裁を務めてるようで、
来沖した際は恩納村辺りのホテルかもしれませんがその時のメニューと比べてみたいものです・・・

結核予防と言えば複十字シールを思い出す人もいると思いますが、
沖縄は復帰前、アメリカ(USCAR)からのデザインを譲り受けた琉球独自の複十字シールがありました。
その後沖縄らしいデザインが数種類も発行され「琉球・RYUKYUS GREETING」と入っているのが心くすぐられるわけです。。
写真にはないですが、現在1シートだけ宜野湾店にあります。
日本へ送る国際郵便によく好んで貼られていたようで、今でもたまにエンタイヤで出てきますね。

こんな一コマを感じ取れるのが紙ものとして残っている醍醐味です。。
バックにうっすらと都ホテルの全景が描かれているのもステキ。

関連記事