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2017年09月23日
撮り鉄だったころ。。
備忘録も含め、久々にお店と関係ないお話でも。
1980年代後半、わたくし店主は鉄道オタクでした。中学1.2年頃、今で言う撮り鉄というやつ。ネットの無い時代、皆のうわさや予想屋のような人達とつるみ、このダイヤで来るはずだ!山手貨物経由と見た!突然、水戸まで回送があるらしい!などと予想してお気に入りのスポットまで歩いたりバス乗ったり、ウォークマンで中島みゆきやRCサクセションなどを聴きながら弁当食べたりとひたすらあの身震いするような重低音が響いてくるのを待ったものである。。
勿論デジカメもなく、まわりの大人たちはNikonのF2とかCanonのA1に高そうなモータードライブつけていた中、近所の塾の手伝いをし、小遣いをためてやっと中古で買ったペンタックスのME1にF2.8の135mmと35mmだけ。
もちろん小学生の頃から鉄道は大好きでした。クラブは紙上旅行クラブ(笑)。その頃は父親にもらったハーフのオリンパスペンで上野駅(新幹線などまだない)に戻ってくるL特急(懐かしい響き)などを撮っていたのですが、そこで駅中に響き渡る重低音の機関車に引かれた実際のブルートレインに出会ったのです。
一番遠い親戚でも川崎の生田だった小学生の当時のわたしには全くの未開の地、東北という世界から遥々雪をこんもり積んで(EF81の前面は厳しい吹雪を振り切ってきた貫禄の顔)走りきった姿にノックアウト。
それ以来、当時住んでいた船橋駅をまっ暗な4時頃の初電で薄暗い上野駅地下ホームに通い詰めたのです。
そのうち、同じ場所に居る大人たちと出会い自然と一緒に行動しだします。臨時列車やダイヤの事、カメラのことなど色々と教わって行き、お召列車(天皇家の特別列車)を引く専用の機関車だった<EF58>という電気機関車に出会い、もう今のアイドルの追っかけもイイところ・・・
記憶もさすがに定かでないけど、EF58はすべて廃車になる予定だったところを、EF58 61(61番目に製造されたという意味、お召列車用で窓が少し大きい) と EF58 89(通称パック) が動態保存されることになり、関東一円の特別列車等のけん引をすることとなったんだったと思います。
それ以来お小遣いはすべて交通費とフィルム台。みんなに影響されてららぽーとのコイデカメラでついにアルミのカメラケースを買い、何度国電(懐かしい、しかも一瞬E電とか言ってたような)の初電で出かけたことか。
少し遠くて通過する時間が早い時はもう野宿である。大体は場所取りも兼ねてその場で仮眠する(これが結構怖い)けど、無人駅とか屋根のあるバス停なんかでよく寝たなぁ。この経験が後の放浪野宿生活にも役に立ったわけですが、中学1年生が一人で野宿できてたのも平和な時代だったかもしれませんね。
という長い前ふりでしたが、当時撮った写真の一部をつい最近やっとパソコンに入れたので、備忘録的に載せておこうかと思います。技術は置いといて、少なからず希少なんじゃないでしょうか。
何度引っ越してもこの数枚だけは残ったんですね~、カメラも含めて他の機材や写真は一体どこへやら、思い出す事が出来ないほど遠い昔のことです。。
長い記事ですが、ぼんやり見ていただければ幸いです。
*折角なので画像は一切弄っていません。へたくそですがスキャンしたまま。
*かっこよく使ったレンズやフィルム、露出なんか載せたいところですが、全く記録しておりません。
*おそらく1986年か1987年です。その時期しかやっておりませんので。
*転用する場合は必ず連絡ください。 わかっちゃうものです。
まずは<EF58 61>

*場所は大崎から大きくカーブして西大井に向かう所。自分で発見した場所としてとても気に入っておりました。
当時は貨物だけで、かぶる(手前の線路に逆向けの列車が来て目当ての列車が隠れちゃうこと)心配もほぼありません。引いているのは確かお江戸とかいうお座敷列車だったような・・・
ヘッドマークを見ると民営化した時の記念列車のようですね。JRなんて響きに違和感を覚えたもんです。
ここへ行くには大井町から歩くのですが、途中朝早くにやっている弁当屋があって(この頃はコンビニもほとんどなかった)おばちゃんと仲良くなったなぁ、今は相当なおばあちゃんだろうなぁ。
寒い日にウォークマンでLet it be何度も聴きながらお弁当食べたものです。今でもこの曲のイントロ流れるとすぐにここの風景やにおいを思い出します。

*こちらも上と同じお気に入りの場所の逆サイド。S時になっていて後ろに山手線の車庫(総合車両センター)が見えますね。引いているのはこの時期大活躍した、え~と、え~忘れました。。。
あ、ヘッドマークに書いてあった。サロンエクスプレスそよかぜというんですね。

*こちらも<そよかぜ>。おそらく同じ日の帰りとかかな。撮影場所もそう遠くない横須賀線か品鶴貨物線(と呼んでいたような、今の湘南新宿ラインがはしるとこ)。

これは場所がまったく思い出せない。。どこでしょう?わかる方教えてください。
よく見ると後ろにも!EF58 89との夢の競演!!! ミステリートレインといって、どこを経由して何処へ行くのか明かさずに走るというものでした。乗っていた人も楽しかったでしょうね、ただオタクたちには秘密のダイヤが漏えいしてなんでもお見通しなのです。外したこともあった気がする・・・
横に写る平ボディのキャンターなどに時代を感じますね、コラムベンチシートですはい。

たぶん西川口。ホームの端から大宮方面をみているところ。でも今地図見ると西川口は線路まっすぐですね、もしかして地図からすると川口駅かも。この客車もなんだか忘れてしまった。ほんとに記憶が薄れていくもんです。

*これまた全く記憶になし。。しかも反転してるし。どうなってるのかさっぱりわからず。。

*おそらく大宮駅。まだ新幹線の始発駅でしたね。これもミステリートレイン。
線路脇で走ってくるのを撮った後、テっちゃん達は猛スピードで片付け、車などで追い抜いて違う場所でまた捉えるのです。この日の最終的な終点だったのでしょう、アイドル追っかけと一緒ですね。
続いてEF58 89。 ピンクレディーではありませんが、てっちゃんの中では「おまえ、ロクイチとパックどっちが好き?」などという会話が繰り広げられるのです。わたしはこう答えてました。
「もちろんパックっしょ!」

*何駅でしょう? ヘッドマークもなく、ノーマルな客車ですね。そんな派手なのを引く機会が無いのがこのパックの良いところ。ロクイチはお召用でちやほやされて育ったのです。

*こちらは上にもあったミステリートレイン。両毛線の桐生の近くの小さな駅だったと思います。地図を見直すと小俣駅が一番確率高いかも。追いかけてますね~

*これも上野駅。しばらくしてバックしていく姿も素敵でした。隣の大きな目の115系が懐かしい!

*同じく。良く見て下さい!すぐ後ろに派手な機関車が! アメリカ国旗みたいな塗装の編成を地味なパックが引いております。この意外な組み合わせが色々あるのも魅力でしたね~

*これは有名すぎる撮影ポイント。東海道線根府川鉄橋ですね。今調べると正確には白糸川橋梁と言って、
かながわの橋100選に入ってるようです。関所跡の辺りからなんども登ったもんです。
客車の名前忘れたけど、この頃でも既に古く意識して残していた編成だったような。

*これも同じ編成ですね、どこで撮ったか全く記憶無し。

*これも同じ編成ですがヘッドマークがあります。後で出てくる写真と同じヘッドマークなので、
<1988 新年号>と思われます。14歳の少年はお正月もセコセコとおじさん達と追っかけをしていたわけです。
場所は鶴見あたりのマンションからだったような。この貨物線と横須賀線、東海道線などものすごい線路の数が記憶にあります。地図を見直すと、やはり鶴見川の鉄橋ですね。今は京浜河川事務所となっていますが、どうやって上から撮ったんだろか?

*ここも何度も通った場所。常磐線の金町と松戸の間。江戸川ですね。どっちの駅からも遠くて、何にも無くて、、広々して気持ちいい独特な場所でした。
よく船橋から自転車で行ってたな~。やっぱりウォークマン聴きながら。誰もいない河川敷の草むらを当時流行っていた金町出身(今思えばたまたま)のアイドル森川由加里のShow Meを大声で歌いながら・・・

*これも川口駅か西川口駅のホーム。パックが回送してるところですね。こういう回送のダイヤまで見抜けるという楽しさもたまりませんでした。「昨日高崎で明日からどこどこのあれ引くはずだからここからこんなルートでこの回送ダイヤで送るな」みたいな感じでしょうかね。後ろに写ってる103系の国電(JRになってE電)が懐かしい!

*これはある意味貴重な写真ですね。大崎の再開発で更地になって五反田まで丸見えになってます。
しかしよく色々と目星をつけて撮影スポットを探し当てたもんです。これもどこかの雑居ビルの非常階段かなんかからですね。今ではセキュリティで絶対不可能。。
EF58 いいですね、今見ても素敵なフォルム。今になってウィキペディアで見てみると(ホント便利な時代!) 61号機は1953年、やはりお召列車けん引専用として生まれたようですね。そしてなんと、動かなくなった今は上の写真の中に写っている大井町の車両基地、総合車両センターに保管されているとの事。。89号機は1999年に廃車、鉄道博物館に所蔵されているようですね、会いに行きた~い!
続いてEF58以外の写真。

*EF81 95 北斗星が誕生してそれ専用機としてペイントされたと記憶してます。それ以外の臨時を引くのが魅力でもありました。こちらも上と同じ1988 新年号となってます。
場所が定かじゃないけど武蔵野線から常磐線に入る支線のような記憶だったけど、地図見ると複線だし違いますね。どなたか分かりますでしょうか?

*これも同じくEF81 95. ていうかこれも反転して焼いてる。。なにしたんだろ??全く覚えがない。
逆読みすると大宮駅ですね。

*EF65 1019 川口か西川口。 これも記憶が無かったのですが、今調べるとスーパーエクスプレスレインボーというジョイフルトレイン(これも懐かしい響き)の専用機だったんですね。しかしこのカラーリングとデザイン、いかにも80年代後半。。斜めに書く辺りが当時のラジカセのよう・・・

*これは上野駅の端っこかな?ブルートレインあけぼのを牽引してきたんですね。Nゲージでやってみたい組み合わせ。。

*上野駅地下ホーム。あの響く空間に油の匂いと重低音がたまらなかった。
EF62 41.この種類は碓氷峠あたりに居てなかなか東京まで降りてこなかったような記憶が、、

*上野駅。EF81 90 ゆうづるが青森から遥々到着して休んでいるところ。常磐線経由で青森まで行った寝台列車。
常磐線で東北に抜けられる日がまた来るのでしょうか。。

*EF62 54 おそらく西川口ホーム。 サロンエクスプレスを引いています。シンプルでいい組み合わせですね。
これも碓氷峠の横軽にいるのが都内を引いてるというので珍しかったんじゃないかな。

*EF62 46とサロンエキスプレス。 おそらく駒込附近。遠くに同じEF62が! もう少しずれるといい写真だったかも。

*EF81 81 北斗星。 東武野田線が写ってるからたぶん大宮駅。おじさん達が「パイパイ」って呼んでたお召列車使用の特別塗装。地味に好きだった。

*これが思い出せないけど、なんか特殊なカラーリングになったばかりという記憶が。番号まで読み取れません。
バックに品川プリンス。この頃は新橋~品川の車窓が楽しくて、色んな機関車や列車が展示されてるかのごとく沢山。横浜方面に行くときはわざと横須賀線に乗ったほうがいろいろ見やすかったはず。そして横須賀線ホームにあった立ち食いの品川うどんってメニューが大好きで。。。

*EF60 19 両毛線のどこかの駅。 これもウィキペディアを見ると1986年にジョイフルトレイン「お座敷客車・やすらぎ」様に塗装されたばかりの頃のようです。なんとこの機種だけ現役なんですね!1962年製造。車だったらパブリカとかキャロルとかダイハツミゼットが発売された頃ですよ、現役とは素晴らしい!

*東海道線のどこか。 たしか岡山あたりのご当地列車みたいのが、専用の機関車のまま東京に来るというので行ったような。

*今は餃子の食べるようなスペースになってしまった両国駅臨時ホームから千葉県を一周するSLが走った時。
内房線のどこかです。足の無い少年はここで知り合ったおじさんのデリカワゴンに乗せてもらい、何カ所か追い抜いて撮影した記憶があります。

*C56 160 これも上の写真と同日。館山の近くだったような・・・ 千葉駅のホームで撮ったのもあったはずだけどな、すごい人ごみで線路に落ちそうになった覚えがあります。しかし毎日号って?毎日新聞かなんかでしょうか?
このC56 160、今も現役のようですね。全国各地ひっぱりダコのようです。

*おまけ。ボケボケですが小学生の時です。木原線(今のいすみ鉄道)大多喜城をバック。
余談を一つ。
父親と大原に行った帰り、この写真撮ったあと小湊鉄道を乗り継いで五井駅に着いたら、改札口をずらりと父親を待ち構えたやくざが埋め尽くし、胸倉をヒョイと掴まれそのまま連れ去られました。私は海坊主みたいな人にタクシーに乗せられ、「坊やの家までいけ!」と言い残し、親父を積んだ黒いセドリックで尾行してきます。
状況を察知したタクシーの運転手さん、ハリウッドばりのカーチェイスで国道16号線を爆走、途中裏道を行ったり高速に乗ったりして見事撒いてくれました。それが良かったのか悪かったのか、父親は半年後位にフルーツを持ってひょっこり現れ、お腹には赤くにじんだ油紙をあてて、階段から転んだというどうしようもない嘘をついておりました。
いまでもフルーツがあまり好きではないのは、そんな理由です。。
昔あったテレビの<あの人に会いたい>みたいなものがあったら、まずこの時のタクシー運転手に会いたいです。
五井駅前の黒いタクシーだったなぁ。
ついでに鉄道と親父で思い出しました。
始めに一番遠い親戚で川崎と書きましたが、実際関東を初めて出たのは紙上旅行クラブだった小学5年生の時、
クラブの中で宿まで全部自分でプランした奈良(仏像と近鉄が魅力的だった)に当時はまだ連絡の取れた父親を誘っての旅でした。忘れもしない、帰りの大和八木駅で父親が急に、「けん、ごめん、ちょっと先に行かなきゃいけなくなった。これだけあれば帰れるな」 といくらか忘れたけどお金を渡されて京都方面へ飛び乗って行きました。
普通の小学生なら焦る所ですが、一つ返事でにんまり。自由に鈍行で帰れるというのと、お金を浮かせれば自分のモノになるという両方のにんまりである。
実際はとても船橋まで帰れるお金は無く、三島辺りで相席になったおじさんに事情を話しているうち、家までの交通費と細長い缶時代のポカリスエットをごちそうになったわけですが・・・
あのポカリの味は忘れないぜ、章夫さん。
そして小学5年生で終電乗り換えに走るという経験もさせていただきました。。
話しが違う方向に行ってしまったけど、鉄道写真撮るのほんと楽しかったなぁと。今でもたまにホームの端で三脚立ててる子供見ると嬉しくなります。
今みたいにネットで何でも情報を共有できる時代もいいけど、情報を得るためにいろいろ苦労したこともなかなか良い思い出。
たった2年ほどしか夢中にならず、後半はTO-Yという漫画と姉に影響され、お茶の水のダブルデッカーと言う店の服ばかり着て写真を取りに行ってましたが、中学3年では完全にパンクスへ。金髪を青く染めた髪をどれだけダイエースプレーで立てれるかなんて感じに激変。今に至る・・・
今は電車もパッと見てもどこの私鉄だかJRだかも区別できないし、遠く雪を積んで朝やってくるブルートレインもない。
実際電車に乗っていてもただの移動手段。何の魅力も感じなくなってしまった。あ、パンクファッションにもね。
歳なのかしら・・・
因みに筋金入りの鉄道ファンの方々へ、すいません出しゃばりまして。情報も間違っていたらごめんなさい。
今は鉄道の無い沖縄でひっそりとしております。お許しくださいませ。。。
1980年代後半、わたくし店主は鉄道オタクでした。中学1.2年頃、今で言う撮り鉄というやつ。ネットの無い時代、皆のうわさや予想屋のような人達とつるみ、このダイヤで来るはずだ!山手貨物経由と見た!突然、水戸まで回送があるらしい!などと予想してお気に入りのスポットまで歩いたりバス乗ったり、ウォークマンで中島みゆきやRCサクセションなどを聴きながら弁当食べたりとひたすらあの身震いするような重低音が響いてくるのを待ったものである。。
勿論デジカメもなく、まわりの大人たちはNikonのF2とかCanonのA1に高そうなモータードライブつけていた中、近所の塾の手伝いをし、小遣いをためてやっと中古で買ったペンタックスのME1にF2.8の135mmと35mmだけ。
もちろん小学生の頃から鉄道は大好きでした。クラブは紙上旅行クラブ(笑)。その頃は父親にもらったハーフのオリンパスペンで上野駅(新幹線などまだない)に戻ってくるL特急(懐かしい響き)などを撮っていたのですが、そこで駅中に響き渡る重低音の機関車に引かれた実際のブルートレインに出会ったのです。
一番遠い親戚でも川崎の生田だった小学生の当時のわたしには全くの未開の地、東北という世界から遥々雪をこんもり積んで(EF81の前面は厳しい吹雪を振り切ってきた貫禄の顔)走りきった姿にノックアウト。
それ以来、当時住んでいた船橋駅をまっ暗な4時頃の初電で薄暗い上野駅地下ホームに通い詰めたのです。
そのうち、同じ場所に居る大人たちと出会い自然と一緒に行動しだします。臨時列車やダイヤの事、カメラのことなど色々と教わって行き、お召列車(天皇家の特別列車)を引く専用の機関車だった<EF58>という電気機関車に出会い、もう今のアイドルの追っかけもイイところ・・・
記憶もさすがに定かでないけど、EF58はすべて廃車になる予定だったところを、EF58 61(61番目に製造されたという意味、お召列車用で窓が少し大きい) と EF58 89(通称パック) が動態保存されることになり、関東一円の特別列車等のけん引をすることとなったんだったと思います。
それ以来お小遣いはすべて交通費とフィルム台。みんなに影響されてららぽーとのコイデカメラでついにアルミのカメラケースを買い、何度国電(懐かしい、しかも一瞬E電とか言ってたような)の初電で出かけたことか。
少し遠くて通過する時間が早い時はもう野宿である。大体は場所取りも兼ねてその場で仮眠する(これが結構怖い)けど、無人駅とか屋根のあるバス停なんかでよく寝たなぁ。この経験が後の放浪野宿生活にも役に立ったわけですが、中学1年生が一人で野宿できてたのも平和な時代だったかもしれませんね。
という長い前ふりでしたが、当時撮った写真の一部をつい最近やっとパソコンに入れたので、備忘録的に載せておこうかと思います。技術は置いといて、少なからず希少なんじゃないでしょうか。
何度引っ越してもこの数枚だけは残ったんですね~、カメラも含めて他の機材や写真は一体どこへやら、思い出す事が出来ないほど遠い昔のことです。。
長い記事ですが、ぼんやり見ていただければ幸いです。
*折角なので画像は一切弄っていません。へたくそですがスキャンしたまま。
*かっこよく使ったレンズやフィルム、露出なんか載せたいところですが、全く記録しておりません。
*おそらく1986年か1987年です。その時期しかやっておりませんので。
*転用する場合は必ず連絡ください。 わかっちゃうものです。
まずは<EF58 61>

*場所は大崎から大きくカーブして西大井に向かう所。自分で発見した場所としてとても気に入っておりました。
当時は貨物だけで、かぶる(手前の線路に逆向けの列車が来て目当ての列車が隠れちゃうこと)心配もほぼありません。引いているのは確かお江戸とかいうお座敷列車だったような・・・
ヘッドマークを見ると民営化した時の記念列車のようですね。JRなんて響きに違和感を覚えたもんです。
ここへ行くには大井町から歩くのですが、途中朝早くにやっている弁当屋があって(この頃はコンビニもほとんどなかった)おばちゃんと仲良くなったなぁ、今は相当なおばあちゃんだろうなぁ。
寒い日にウォークマンでLet it be何度も聴きながらお弁当食べたものです。今でもこの曲のイントロ流れるとすぐにここの風景やにおいを思い出します。

*こちらも上と同じお気に入りの場所の逆サイド。S時になっていて後ろに山手線の車庫(総合車両センター)が見えますね。引いているのはこの時期大活躍した、え~と、え~忘れました。。。
あ、ヘッドマークに書いてあった。サロンエクスプレスそよかぜというんですね。

*こちらも<そよかぜ>。おそらく同じ日の帰りとかかな。撮影場所もそう遠くない横須賀線か品鶴貨物線(と呼んでいたような、今の湘南新宿ラインがはしるとこ)。

これは場所がまったく思い出せない。。どこでしょう?わかる方教えてください。
よく見ると後ろにも!EF58 89との夢の競演!!! ミステリートレインといって、どこを経由して何処へ行くのか明かさずに走るというものでした。乗っていた人も楽しかったでしょうね、ただオタクたちには秘密のダイヤが漏えいしてなんでもお見通しなのです。外したこともあった気がする・・・
横に写る平ボディのキャンターなどに時代を感じますね、コラムベンチシートですはい。

たぶん西川口。ホームの端から大宮方面をみているところ。でも今地図見ると西川口は線路まっすぐですね、もしかして地図からすると川口駅かも。この客車もなんだか忘れてしまった。ほんとに記憶が薄れていくもんです。

*これまた全く記憶になし。。しかも反転してるし。どうなってるのかさっぱりわからず。。

*おそらく大宮駅。まだ新幹線の始発駅でしたね。これもミステリートレイン。
線路脇で走ってくるのを撮った後、テっちゃん達は猛スピードで片付け、車などで追い抜いて違う場所でまた捉えるのです。この日の最終的な終点だったのでしょう、アイドル追っかけと一緒ですね。
続いてEF58 89。 ピンクレディーではありませんが、てっちゃんの中では「おまえ、ロクイチとパックどっちが好き?」などという会話が繰り広げられるのです。わたしはこう答えてました。
「もちろんパックっしょ!」

*何駅でしょう? ヘッドマークもなく、ノーマルな客車ですね。そんな派手なのを引く機会が無いのがこのパックの良いところ。ロクイチはお召用でちやほやされて育ったのです。

*こちらは上にもあったミステリートレイン。両毛線の桐生の近くの小さな駅だったと思います。地図を見直すと小俣駅が一番確率高いかも。追いかけてますね~

*これも上野駅。しばらくしてバックしていく姿も素敵でした。隣の大きな目の115系が懐かしい!

*同じく。良く見て下さい!すぐ後ろに派手な機関車が! アメリカ国旗みたいな塗装の編成を地味なパックが引いております。この意外な組み合わせが色々あるのも魅力でしたね~

*これは有名すぎる撮影ポイント。東海道線根府川鉄橋ですね。今調べると正確には白糸川橋梁と言って、
かながわの橋100選に入ってるようです。関所跡の辺りからなんども登ったもんです。
客車の名前忘れたけど、この頃でも既に古く意識して残していた編成だったような。

*これも同じ編成ですね、どこで撮ったか全く記憶無し。

*これも同じ編成ですがヘッドマークがあります。後で出てくる写真と同じヘッドマークなので、
<1988 新年号>と思われます。14歳の少年はお正月もセコセコとおじさん達と追っかけをしていたわけです。
場所は鶴見あたりのマンションからだったような。この貨物線と横須賀線、東海道線などものすごい線路の数が記憶にあります。地図を見直すと、やはり鶴見川の鉄橋ですね。今は京浜河川事務所となっていますが、どうやって上から撮ったんだろか?

*ここも何度も通った場所。常磐線の金町と松戸の間。江戸川ですね。どっちの駅からも遠くて、何にも無くて、、広々して気持ちいい独特な場所でした。
よく船橋から自転車で行ってたな~。やっぱりウォークマン聴きながら。誰もいない河川敷の草むらを当時流行っていた金町出身(今思えばたまたま)のアイドル森川由加里のShow Meを大声で歌いながら・・・

*これも川口駅か西川口駅のホーム。パックが回送してるところですね。こういう回送のダイヤまで見抜けるという楽しさもたまりませんでした。「昨日高崎で明日からどこどこのあれ引くはずだからここからこんなルートでこの回送ダイヤで送るな」みたいな感じでしょうかね。後ろに写ってる103系の国電(JRになってE電)が懐かしい!

*これはある意味貴重な写真ですね。大崎の再開発で更地になって五反田まで丸見えになってます。
しかしよく色々と目星をつけて撮影スポットを探し当てたもんです。これもどこかの雑居ビルの非常階段かなんかからですね。今ではセキュリティで絶対不可能。。
EF58 いいですね、今見ても素敵なフォルム。今になってウィキペディアで見てみると(ホント便利な時代!) 61号機は1953年、やはりお召列車けん引専用として生まれたようですね。そしてなんと、動かなくなった今は上の写真の中に写っている大井町の車両基地、総合車両センターに保管されているとの事。。89号機は1999年に廃車、鉄道博物館に所蔵されているようですね、会いに行きた~い!
続いてEF58以外の写真。

*EF81 95 北斗星が誕生してそれ専用機としてペイントされたと記憶してます。それ以外の臨時を引くのが魅力でもありました。こちらも上と同じ1988 新年号となってます。
場所が定かじゃないけど武蔵野線から常磐線に入る支線のような記憶だったけど、地図見ると複線だし違いますね。どなたか分かりますでしょうか?

*これも同じくEF81 95. ていうかこれも反転して焼いてる。。なにしたんだろ??全く覚えがない。
逆読みすると大宮駅ですね。

*EF65 1019 川口か西川口。 これも記憶が無かったのですが、今調べるとスーパーエクスプレスレインボーというジョイフルトレイン(これも懐かしい響き)の専用機だったんですね。しかしこのカラーリングとデザイン、いかにも80年代後半。。斜めに書く辺りが当時のラジカセのよう・・・

*これは上野駅の端っこかな?ブルートレインあけぼのを牽引してきたんですね。Nゲージでやってみたい組み合わせ。。

*上野駅地下ホーム。あの響く空間に油の匂いと重低音がたまらなかった。
EF62 41.この種類は碓氷峠あたりに居てなかなか東京まで降りてこなかったような記憶が、、

*上野駅。EF81 90 ゆうづるが青森から遥々到着して休んでいるところ。常磐線経由で青森まで行った寝台列車。
常磐線で東北に抜けられる日がまた来るのでしょうか。。

*EF62 54 おそらく西川口ホーム。 サロンエクスプレスを引いています。シンプルでいい組み合わせですね。
これも碓氷峠の横軽にいるのが都内を引いてるというので珍しかったんじゃないかな。

*EF62 46とサロンエキスプレス。 おそらく駒込附近。遠くに同じEF62が! もう少しずれるといい写真だったかも。

*EF81 81 北斗星。 東武野田線が写ってるからたぶん大宮駅。おじさん達が「パイパイ」って呼んでたお召列車使用の特別塗装。地味に好きだった。

*これが思い出せないけど、なんか特殊なカラーリングになったばかりという記憶が。番号まで読み取れません。
バックに品川プリンス。この頃は新橋~品川の車窓が楽しくて、色んな機関車や列車が展示されてるかのごとく沢山。横浜方面に行くときはわざと横須賀線に乗ったほうがいろいろ見やすかったはず。そして横須賀線ホームにあった立ち食いの品川うどんってメニューが大好きで。。。

*EF60 19 両毛線のどこかの駅。 これもウィキペディアを見ると1986年にジョイフルトレイン「お座敷客車・やすらぎ」様に塗装されたばかりの頃のようです。なんとこの機種だけ現役なんですね!1962年製造。車だったらパブリカとかキャロルとかダイハツミゼットが発売された頃ですよ、現役とは素晴らしい!

*東海道線のどこか。 たしか岡山あたりのご当地列車みたいのが、専用の機関車のまま東京に来るというので行ったような。

*今は餃子の食べるようなスペースになってしまった両国駅臨時ホームから千葉県を一周するSLが走った時。
内房線のどこかです。足の無い少年はここで知り合ったおじさんのデリカワゴンに乗せてもらい、何カ所か追い抜いて撮影した記憶があります。

*C56 160 これも上の写真と同日。館山の近くだったような・・・ 千葉駅のホームで撮ったのもあったはずだけどな、すごい人ごみで線路に落ちそうになった覚えがあります。しかし毎日号って?毎日新聞かなんかでしょうか?
このC56 160、今も現役のようですね。全国各地ひっぱりダコのようです。

*おまけ。ボケボケですが小学生の時です。木原線(今のいすみ鉄道)大多喜城をバック。
余談を一つ。
父親と大原に行った帰り、この写真撮ったあと小湊鉄道を乗り継いで五井駅に着いたら、改札口をずらりと父親を待ち構えたやくざが埋め尽くし、胸倉をヒョイと掴まれそのまま連れ去られました。私は海坊主みたいな人にタクシーに乗せられ、「坊やの家までいけ!」と言い残し、親父を積んだ黒いセドリックで尾行してきます。
状況を察知したタクシーの運転手さん、ハリウッドばりのカーチェイスで国道16号線を爆走、途中裏道を行ったり高速に乗ったりして見事撒いてくれました。それが良かったのか悪かったのか、父親は半年後位にフルーツを持ってひょっこり現れ、お腹には赤くにじんだ油紙をあてて、階段から転んだというどうしようもない嘘をついておりました。
いまでもフルーツがあまり好きではないのは、そんな理由です。。
昔あったテレビの<あの人に会いたい>みたいなものがあったら、まずこの時のタクシー運転手に会いたいです。
五井駅前の黒いタクシーだったなぁ。
ついでに鉄道と親父で思い出しました。
始めに一番遠い親戚で川崎と書きましたが、実際関東を初めて出たのは紙上旅行クラブだった小学5年生の時、
クラブの中で宿まで全部自分でプランした奈良(仏像と近鉄が魅力的だった)に当時はまだ連絡の取れた父親を誘っての旅でした。忘れもしない、帰りの大和八木駅で父親が急に、「けん、ごめん、ちょっと先に行かなきゃいけなくなった。これだけあれば帰れるな」 といくらか忘れたけどお金を渡されて京都方面へ飛び乗って行きました。
普通の小学生なら焦る所ですが、一つ返事でにんまり。自由に鈍行で帰れるというのと、お金を浮かせれば自分のモノになるという両方のにんまりである。
実際はとても船橋まで帰れるお金は無く、三島辺りで相席になったおじさんに事情を話しているうち、家までの交通費と細長い缶時代のポカリスエットをごちそうになったわけですが・・・
あのポカリの味は忘れないぜ、章夫さん。
そして小学5年生で終電乗り換えに走るという経験もさせていただきました。。
話しが違う方向に行ってしまったけど、鉄道写真撮るのほんと楽しかったなぁと。今でもたまにホームの端で三脚立ててる子供見ると嬉しくなります。
今みたいにネットで何でも情報を共有できる時代もいいけど、情報を得るためにいろいろ苦労したこともなかなか良い思い出。
たった2年ほどしか夢中にならず、後半はTO-Yという漫画と姉に影響され、お茶の水のダブルデッカーと言う店の服ばかり着て写真を取りに行ってましたが、中学3年では完全にパンクスへ。金髪を青く染めた髪をどれだけダイエースプレーで立てれるかなんて感じに激変。今に至る・・・
今は電車もパッと見てもどこの私鉄だかJRだかも区別できないし、遠く雪を積んで朝やってくるブルートレインもない。
実際電車に乗っていてもただの移動手段。何の魅力も感じなくなってしまった。あ、パンクファッションにもね。
歳なのかしら・・・
因みに筋金入りの鉄道ファンの方々へ、すいません出しゃばりまして。情報も間違っていたらごめんなさい。
今は鉄道の無い沖縄でひっそりとしております。お許しくださいませ。。。
**********************
20世紀、人の手によってつくられてきたあったかいモノたち。
もう一度光を当ててあげたいんです。
売ってください、捨ててしまうのなら・・・
売ってください、風化してしまっているのなら・・・
がんばって想い出の分も買います。
まず会わせて欲しいのです。
なんでも廃棄してしまう時代はもう終わったのです。
リフォーム、遺産相続等も含めとにかく一度お問い合わせください。
本土の方、ゆうパック着払いでのお買取りもしています。
詳しくは 20世紀ハイツ・ホームページまで。
◆20世紀ハイツ
沖縄県宜野湾市大謝名2-17-7 info@20century-heights.com
Tel 098-963-9349
◆20世紀ハイツギャラリー那覇
沖縄県那覇市壺屋1-6-4
Tel 090-1369-0258 (那覇店専用ダイヤル)
毎週水・日曜日はお休みです。
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20世紀、人の手によってつくられてきたあったかいモノたち。
もう一度光を当ててあげたいんです。
売ってください、捨ててしまうのなら・・・
売ってください、風化してしまっているのなら・・・
がんばって想い出の分も買います。
まず会わせて欲しいのです。
なんでも廃棄してしまう時代はもう終わったのです。
リフォーム、遺産相続等も含めとにかく一度お問い合わせください。
本土の方、ゆうパック着払いでのお買取りもしています。
詳しくは 20世紀ハイツ・ホームページまで。
◆20世紀ハイツ
沖縄県宜野湾市大謝名2-17-7 info@20century-heights.com
Tel 098-963-9349
◆20世紀ハイツギャラリー那覇
沖縄県那覇市壺屋1-6-4
Tel 090-1369-0258 (那覇店専用ダイヤル)
毎週水・日曜日はお休みです。
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Posted by 20世紀ハイツ at 22:11│Comments(0)
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